悩みのない人など誰もない。
この年まで人間やっているとそのことは充分承知している。ところが、
若いころは、どうして私はこうなんだろう?となにかにつけ、悩んだものだ。
周りの人は何も悩みなどなく自分だけが悩んでいるんだと思っていた。
今日、親しい友人からちょっとした悩みを聞いて、昔、自分が悩んだ
時のことを思い出した。他人にとって大きな問題でなくても、自分に
とって大きな問題となる。それが悩みと言うものなのだ。
現代社会は情報が飛び交い、誰もが悩みを抱えていると知ってる筈なのに、
悩んでいるのは自分だけとみんな思っている節がある。
だから社会が複雑になったぶん、心を病む人が増えてるように思う。
いったん病んでしまったら、反対意見を聞くと更に悪化させるらしい。
だからそうなる前に誰かの意見を聞くことが大切なのだが・・・。
悩みを深める人は誰にどのように話して良いのか判断出来ないから、
だから悩むのだが、家族や周りの人がそれを早く察知出来れば良いが、
以外と近くにいる人には話したくないと言うか、話せないのがこれまた
悩みの根源でもある。
悩みという厄介な代物はちょっと違う角度から見てみると、全く違う
形をしていることが判るが、悩みの坩堝(るつぼ)にはまってしまうと
それが全く見えなくなる。

わが家のベランダから見た裏にある公園。この暑さにめげず緑の美しさを
必死で守っている木々たち。樹は樹なりに悩みもあるだろうが・・・。
私が20年前一番悩んだときは・・・。